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CHAPTER 11

第11章

 平井はおぼろげな記憶をなんとか思い出してみた。
 確かその日、夢を見たのだ。――かすかにケータイの通知音が鳴ったと思った後、ケータイの電話の呼出音に設定してあった、そう、あれは、“シロフォン”だ。“シロフォン”が鳴った気がしたのだった。
 
 オレは安直に、巨大で分厚い石像の後ろに隠れたんだった。誰かがオレを呼んでいる…。声がきこえた。その声が…オレを呼んでいる。
 でもオレは、誰にも会いたくなかったんだ。会うことなんてできやしない。オレはもう火星に行くと決めてたんだから。火星への有人飛行訓練に申し込んだばかりで、その後のことは、何も考えていなかった。もう誰とも会うことはないし、誰とも話すことはないだろう。そう決めていたんだ。
 
 泣き崩れたオレは、満天の星空を見上げた。小学生の頃、母親が買ってくれた天体望遠鏡で、木星を見つけて覗いたことがある。木星の直径は14万キロ。地球の11倍あるって理科の先生に教わった。
 でも覗いた光の点は、米粒よりもちっちゃかった。木星は、ヘリウムや水素なんかのガスでできた惑星なんだって。それから先生が、興奮して大赤斑の話をしてたから、オレはその天体望遠鏡で、大赤斑を見たって次の日いっちゃったんだよ。そしたら先生は笑ってた。嘘だってバレてたんだよね。ちっちゃな望遠鏡で、そんなの見えるわけないじゃん。ふつうに空を見上げたって、木星の16個のエーセイなんて見えるわけがないんだ。
 でも、そんなことはどうでもいい。火星に行く。オレは火星に行くぞ。
 
 誰かがまたオレを呼んでいる。オレを呼び出そうとしている。オレはこのままここに隠れて、またどこかへ逃げ出すんだ。
 どこがいい? アメリカのアリゾナがいいな。あそこに、巨大な隕石の穴があるらしい。オレはそこにたたずんで、火星へのチケットが届くまでずっと待ち続けるんだ。もう誰にも会いたくない。
 
 目が覚めた時、天井に張ってあるモノクロのポスターを見つめたんだった。ムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』。オルロック伯爵が、鋭い目で遠くを見つめているポスターで、紙はボロボロだった。
 前の日に千城台の駅で久しぶりに会った、木戸学のことを思い浮かべていた。やっぱり、学生服を着た高校生の木戸のほうが印象が濃い。彼が卒業してからだって、ねんじゅう一緒にいたのにな。
 千城台の駅のベンチの前に立っていた木戸は、もうそういう彼じゃなかった。なんていうのか、それは、そう、オルロック伯爵とだぶる。そうだ、オルロック伯爵。皮肉なんだよね。あの時――オレがオルロック伯爵をやって、彼が主役のトーマスを演じたんだっけ。
 でも、逆になってた。変な話、木戸はなるべくしてオルロック伯爵になった…ということなんだよな。もう彼の中に、どこにもトーマスの存在はなかったんだ。うん、その時、そう思ったんだ。彼の外見の変哲ぶりは、ちょっと意外っていうか、残念だった。人のことはとやかくいえないけど。とにかく、内心、そればかりがショックだった。
 
 なんで棄ててなかったんだろうね。これが、あの時の不穏な夢に出てきた“シロフォン”のケータイだ。これだったんだ。いま、その音を思い出すことはできない。
 でも、ほんとは、夢を見ていた時、あの“シロフォン”の電話の呼出音は、たぶん木戸からの電話だったんだと思う。あの時ほんとは、とっくに夢から覚めていたのに、オレは出なかった。たぶん木戸だって、わかってたから。そのあとすぐ、ケータイを解約して、新しい番号に替えた。Facebookもやめた。
 だからあれ以来、木戸から連絡なんて来るわけないし、こっちも彼の連絡先なんてバックアップ取ってない。知らない知らない知らない。あれでおしまいだったんだ。そう、あの時でおしまい。そう、はっきりいって、何もかもあれでおしまいにしたかったんだよな。

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この物語はフィクションであり、
登場する人物・団体等の名称はすべて架空のものです