HOME | STORY | CHAPTER 13

CHAPTER 13

第13章

 工場の廃屋に立ち寄った後、平井はまた木戸と再会した日のことを思い返した。千城台の洋風レストラン「ルビイ」での、瘡蓋(かさぶた)ごときの思い出話…。
 
 午後3時過ぎ、外は容赦ない土砂降りの雨になった。通りを行き交う人々が、小走りに交差していく様を、甘いスイーツの香りが漂うレストランの室内からガラス越しに眺めていた。
 ふいに木戸が、うつろな目をして口を開いた。
「西山先輩のあの事件には参りましたよね。今頃西山先輩、どこで何してるんでしょうね」
 平井は窓の外を眺め、激しく降りしきる雨に困惑した背広姿の中年男性の姿を目で追った。すぐにむなしさを感じた。
 
「我がセイシュンは、90年代半ばを前にして、朽ち果てたのでございます…」
 平井は役者の台詞口調でそう冗談を放ち、コーヒーを飲み干した。苦さが口に残った。対面で木戸が笑っていた。
 
 木戸はニシのことに、やっぱりこだわってるんだ。ニシの事件が起きたのは、1992年7月だったよな。よく憶えてるんだ。だって、7月の初めの日曜、帝劇で『ミス・サイゴン』観た時だったし、その次の週の水曜日には、マチネで『アイ・ガット・マーマン』を観たんだ。確か、博品館だったかな。その翌日、珍しく谷山から電話もらって、ファミレスで会いたいっていうから会って、そこでヤバい話を聞いたんだった。
 
 そうそう、オレ達、前年の初めに旗揚げ公演の『ムジナとヴァレンタイン』やって、秋に2回目の公演の『ムジナの眠り蘭土』やって、あんときは市内でお盛んな若手劇団の中で、一目置かれるくらいに評判が良くなった頃だよな。他劇団との交流もあって、演劇仲間が増えて。まあでも、オレらのところに入団するやつはいなかったけどな。ハハハ。
 そんで勢いついてさ、92年の秋だよね。3回目の公演をやろうということになって。木戸が、『ムジナの甘い関係』っていうタイトルつけて、ムジナの昔話にちょっとしたスパイスつけようっつってさ、ヌーヴェル・ヴァーグ的なフレンチ・ポップの雰囲気を取り入れた台本を書いてやってみようっていうことになって、準備進めてたよな。ところがそう、ヤバいことが起きたんだ。
 
 谷山と北橋の自宅に、「愛と自由研究会」のムナカタっていう人から封書が届いて、その話をオレも聞いて、なんだそれ? ってことになったんだよな。あれは、インチキな自己啓発セミナーの勧誘の案内だったんだろ?
 そのうちすぐ、あれはニシの仕業だっていうのがわかった。ニシとノンコは、まえから「愛と自由研究会」の会員でさ、谷山と北橋の家にダイレクトメールを送るよう、支部長のムナカタっていう人に頼んだらしい。まあ尤も、支部長の方が各会員に、新しい会員を増やす努力義務を掲げて、布教活動を強く促してたわけだけど。
 
 「愛と自由研究会」って、ほとんど新興宗教みたいなもんだったよな。
 どういうんだ? あれ、電磁波の話だっけ?
 あの頃日本では、パソコン通信とか、ショルダータイプの携帯電話だとか、そういう電子機器がどんどん一般向けに製品化されてて、電磁波がヒトの脳を狂わせたり蝕んだりするって、えっと、なんだっけ、あと6年後くらいに神経が冒されて奇病になるとか、女の人が出産すると、奇形児が生まれてくるとか、そんな話だったよな? それで実際的に、そういう電子機器を使わない日常生活とか、場所とか、電磁波のほとんど無い安全な地域に移住しないと、日本は滅びるんですっていう話。
 
 まずセミナーに通い、基本的な知識を持ち、「エクソダス」の準備をしなければならない…。そのための講習を受け続け、必要なものを各自取りそろえて救済する。それが、「愛と自由研究会」の目的。どんどん新会員を増やして、一人でも多く救済しましょうっていう。
 
 あれほんと、すごかったな。ニシに聞いたんだ。年会費はひとり15,000円。セミナーに通って、まずアメリカ製のサバイバルツールを買うんだって。
 案内書で見たでしょ? ニシはそれ、サバツーっていってた。オレ、ホンモノ見せてもらったんだよ。金属製でポケットに入れられるくらいのカード型になってて、缶切りとかノコギリとかボトルオープナーとかレンチとか。アウトドア用品の一種で、万能ツールとかってよくあるじゃん? まあはっきりいってそれ、ふつうにハンズで売ってたりするんだけど、ニシは、これは特殊なやつなんだとかいい張って、真面目な顔して話してた。
それをさ、購入っていうか強制的に買わされるんだけど、非会員の通常価格は78,000円です、特注のアメリカ製だからって。でも会員は、特別価格で今なら43,000円で購入できますっていう話。それと同じ物、ハンズで買ったらさ、数千円くらいなんだけどね。
 
 で、そういうのを買う以外に、新会員を増やしましょうっていって、知人友人を紹介して会員になってもらうっていうのをしなくちゃいけない。一人紹介してその人が会員になったら、紹介料が3,000円ずつ支給される。それでニシは、月に20人から30人くらい集めてさ、実際、月6万くらいもらったこともあったらしいよ。
 入会には、条件があるらしい。
 その一、心霊現象を感じたことがある人。
 その二、テレパシー能力を高めたい人。
 その三、人類存亡の危機から「エクソダス」するためのサバイバル生活を送る旨、肉体的精神的修養を求める人。
 会員希望者の案内向けセミナーでは、自分が心霊現象を感知できるかどうかを知るための、基礎的な心霊テストをやるらしい。そのテストをやって、心霊現象を感知できる能力があるって認められた人だけ、入会できる。でもこれ、インチキで、全員合格するやつなんだよな。
 
 あのさ、昔、駅前の青っぽいビルでさ、小山内塾って高校受験のための中学生が通う塾があったじゃん? あそこのビルの3階で、「愛と自由研究会」のセミナーやってたらしいよ。
 ニシの話だと、1講習1,200円のセミナーに通い続けて、それから年に一度実施されるなんたらっていうサバイバル生活に関する難しい試験に合格すると、アメリカにある「ラブアンドラズベリー連合」の会員になれるんだって。
 「ラブアンドラズベリー連合」は、最終的な「エクソダス」の講習を、サンフランシスコの本部の会場で受けられるんだって。それは年に3回。つまり3度、サンフランシスコに行かなきゃいけないんだけど、もちろん費用は自腹で、だいたい数十万円の旅費と講習費が15万。それを3回ってこと。
 向こうに行くと、トップの幹部と会えて話もできるとかっていう触れ込み。もちろん、英語ができないと無理だけど。ま、そういうヘンテコなインチキ集団の支部が、オレらの地元の駅前にあったってことだよな。そのセミナーにニシとノンコがのめり込んでたっていう。
 
 いってみれば、オカルト組織だよな。ニシはね、どうも小高さんに誘われて会員になったらしい。あの頃よく、ニシと小高さんはコソコソどっかで会ってよな。ニシはあんまり演劇ワークショップには顔出さなかったけど。っていうかね、あの稲葉さんの演劇ワークショップ自体が、そういうオカルト組織の会員集めのダシに使われてたってことなんだ。
 「愛と自由研究会」からの案内書が届いた谷山と北橋は、すぐにインチキだと見抜いて、オレに話してくれたよな。木戸に話したら、なんか西山先輩が怪しいんですっていう話になって、驚いたんだけど、それでわかった。それからニシとオレが直接話をして、内容を知ったんだけど、ニシは怒りだしたよな。邪魔するな、って。それ以来ニシは怪氣円に来なくなったけどさ、問題はそっからだったな。
 
 ニシは、市内のあっちこっちの劇団の人に、勧誘してまわってたらしい。実際、ニシを信用して何人か会員になった劇団員がいてさ、高いサバツーを買わされて、親にバレて警察沙汰になったっていう。そんで、小高さんが直接勧誘して会員になった、オレらより先輩の劇団員の人がけっこういてね、あっちこっちの劇団で大問題になったわけだ。誰だったか名前忘れたけど、「ラブアンドラズベリー連合」の会員になってアメリカへ行った人もいたらしいよ。実体としちゃあさ、そんな「ラブアンドラズベリー連合」なんて組織、無いんだけどね。インチキな名目につられてボデガベイの安っぽい民宿に泊まって帰ってきた劇団の人がいたんだって。
 
 そっからだよな。問題は。
 他の劇団の連中としちゃあさ、ニシといちばん親しいオレらに食ってかかるのも無理はないよな。あの連中がオレらんとこにやってきて、おい、怪氣円ってそんないかがわしい劇団なのか! ってまくし立てられて、今後一切あんたらには協力しないぞっていわれて、こっちの劇団の公演を見に来るのもお断りだよともいわれて、オレも木戸も泡食ったよな。っていうか、最終的には頭下げて、大変な思いをしたっけ。
 そのあとじゃん? オレ、ニシのアパート行ったんだよ。でもとっくに引っ越してて、町にはもう居なかったんだと思う。ノンコもそっからどうなったか、全然知らないなあ。
 
 その頃さ、テレビでバルセロナのオリンピックやってたよな。日本代表のマラソン選手が金メダル取って、日本中が大はしゃぎしてたじゃん? でもオレ、ずっとニシのこと考えてた。
 そんときだよ、木戸から電話があったのは。
 ニシが、劇団費全部持ち逃げしたって。
 たぶんさ、7月のいつだったか忘れたけど、ニシがいなくなる前に一度、稽古場にひょっこりあいつがやってきたよな。もう劇団に手伝えなくなるから、みんなの夕メシ買ってくるからっていって、コンビニに弁当買いに行ったっけ。あのときだと思う。こっそり谷山のバッグからキャッシュカード盗んで、ATMで全額下ろして、それから稽古場に弁当置いてって、さっさと出てったんだ。あいつの顔見たの、あれが最後だった。
 木戸から電話もらって、劇団費盗まれましたって最初にいわれた時、すぐに自分でもニシの顔が浮かんだ。なんでニシの顔なんだよ、って思った。「たぶん西山先輩です」って、木戸も電話の向こうでいったんだと思うけど、オレが先にいったのかどうか覚えてないんだ。とにかくもうショックだった。オレらの大事な金盗むなんて、信じられなかった。それで結局、秋の公演が延期になっちゃったわけだし。
 
 インチキセミナーのこともそうだけど、ひどい男だなって思って、めちゃくちゃ腹立ったあとに、なんかあいつ、めちゃくちゃ可哀想なやつだなって思った。もっとなんか、違う意味でさ、親しく付き合えなかったんかなって。なんか寂しいし、バカなやつだったけど、ホントはいいやつだったんだと思うよ。オレとしてはね。涙こぼれたよ、そんとき。
 
 「ヒライさん、9月の公演どうしましょう?」って木戸がいって、じゃあ仕方ないから延期しようってなって、結局そうなったよな。金無くなっちゃったし、すぐに金できないだろうし、どうしようかってみんなで相談して、そんで谷山が、泣きながらぼそっていったの、覚えてる。朗読だけだったらできるかもって。
 北橋が提案したんだよな。朗読やるなら、やっぱり会場はザナドゥで、少ないお客さん呼んで、マヤコフスキーの詩を読みたいって。
 
 マヤコフスキーってオレ、全然知らなかった。けど、あとで詩集読んでみたら、すごくよかった。これしかないって。これなら、お客さんもなんとか、聴いてもらえるんじゃないかって。
 そんで、ザナドゥのオーナーの松島さんにいったら、照明とかミキサーとかほとんど使わないんだったら、場所代だけでいいよって、いってくれて。舞台っていうんじゃなくて、あれもう、ふつうに蛍光灯の下でやった、高校演劇の部内発表会みたいなもんだもん。
 だけどさ、マヤコフスキーの朗読! 木戸が考えた公演のタイトルも抜群だったよな。『僕たちがすべて悪かったんです。だからすべてマヤコフスキーだけ読みます』。
 あの時、木戸のお母さんが見に来てたんだって。演劇部の元顧問の先生もいたらしいよ。
 
 その時の思い出を、平井は、あの土砂降りの雨の中で、木戸本人に聞くことはなかった。胸の奥から熱い何かがこみ上げてくるようで、ひどく恐ろしかったからだ。言葉として生まれてこないモヤモヤとした気持ちは、雨の騒音にかき消されていく快感となった。

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
この物語はフィクションであり、
登場する人物・団体等の名称はすべて架空のものです