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CHAPTER 12

第12章

 2010年の夏だった。
 あの頃、オレは、都内のアパレル系の広告代理店に勤めていた。渋谷や代官山、広尾あたりをあちこちうろつくことが多かった時だ。広尾にあった「ハピネス」という撮影スタジオに、スズキケイコっていう20代のアシスタントの女の子が出入りしてて、彼女からFacebookのやり方を教わった。ケイちゃんとは、よく一緒に外で食事したものだ。
 うっかり彼女に、そろそろ違う会社に勤めようかなあなんて冗談で愚痴こぼしたら、それだったらFacebookやったほうがいろいろつながるよって教えられて、なんだか幼稚園の子どもたちがうじゃうじゃ遊んでる公園に連れられて、プロフ画像をケイちゃんに撮ってもらって。背景は、ペンキの剥げ落ちたお馬さん。
 そんでどうにか、Facebookのアカウントを開設したんだっけ。そういうのケイちゃんうまかったよな。当然、Facebookの友達はケイちゃんが第1号だったけど、そのうち彼女の友達とか、どんどんつながっていったよね。
 
 それから何週間か経って、Facebookにメッセージが届いた。木戸だった。木戸学。ずっと音信不通だったのに、ネットでまた知り合うとは、思ってもみなかった。正直、ちょっと困惑した。
「やあ、こんにちは、キド☆えんまくですww。懐かしいっすね平井さん。元気でしたか?」
 それが彼からの最初のメッセージだった。まあ、考えた末に友達承認して、こっちも簡単なメッセージを送り返した。
 
 彼のFacebookに載っけてたプロフ画像は、かなり老け込んだ印象だった。もう15年くらい会ってなかったんだから、無理はないけど。でもやっぱり、印象がだいぶ違ってた。
 プロフの情報を見たら、千葉の千城台の小さな楽器店で働いてるらしく、なんとなく意外だった。過去にいろいろあったわりには、落ち着いた生活してるんだなと思った。それからすぐ、また彼からメッセージが届いた。
「まあ、半分冗談なんですけど、トリュフォーの『華氏451』に憧れて、サフェージュ式のモノレールのある千城台に住んでますww 今度一度、こっちに来ませんか?」
 それで結局、ケータイの番号を教えあって、彼と再会することにした。
 
 その日は酷く暑かった。ワイシャツの内側が汗でまとわりついて、脇の下に汗が滴り落ちるのを感じて気持ち悪かった。
 千葉駅が始発の2号線のモノレールは、たしかにトリュフォーの映画に出てくるモノレールみたいに、車両が吊り下げられてる懸垂式? だったんだけど、こっちのほうが立派だしさ、がっちりしてるし、高いところを走ってるから、そんなに『華氏451』っぽくはなかったよね。そういやあ、映画の『バタアシ金魚』のロケはこの町だったよなって思い出した。
 
 正午過ぎに千城台の駅を降りて、「ルビイ」っていう洋風レストランで待ち合わせた。そのうちに木戸がやってきた。体型はほっそりしてほとんどあの頃と変わらなかったけど、さすがに顔にシワが増えて、髪型もなんか変だった。
 木戸はオムライス注文して、オレも落ち着かなくて、ナポリタン食った気がする。木戸が飲んでたレモネードにさくらんぼが浮いてて、全然似合わねえなって思って笑いそうになった。でもそれも、木戸らしかった。
 
 木戸もオレも独身だって話をして間が持たなくなって、それから昔の劇団の話をした。最初に話したのは、自分が怪氣円を辞めた後、劇団がどんな感じだったの? っていうことだった。でもそこは、突然木戸らしくなくなって、口ごもって、判然としなかった。
 オレが辞めた後、何回か公演を打ったらしいよ。ぜんぜん劇団員集まらず旗揚げの時のままのメンバーだったって。そんで、97年の3月に「ムジナと給食のコッペパン」っていう劇をやって、解散したって。後輩の谷山と北橋と、あともう一人、井手雅也? っていう人がいたらしいけど、オレはぜんぜん知らない。面識なし。その頃解散したっていうのは知ってたよ。たしか、文化センターに置いてあったフライヤーを見て、ああ、とうとう怪氣円も解散するんだって。あの後、文化センターも無くなっちゃったけどね。
 
 木戸との話は、やっぱり怪氣円を始めた頃の思い出話になった。
 恩田さんの青燐光の野外公演がとんだ騒ぎになったのは、90年の夏だったよな。まだ稲葉さんの演劇ワークショップに出入りしてた頃だ。
 木戸がさ、どっかの映画館で観てきたムルナウの映画に心酔しててね、怪奇モノの演劇がやりたいって。それで、劇団の名前を怪氣円にしましたって。木戸はまだ高校生だったよな。オレと木戸と、木戸の同級生で同じ演劇部の谷山と北橋を連れてきて、アオイの公園でさ、初めて4人で発声練習したんだっけ。
 
 そんで、キャンプ場のバンガローで合宿してさ、夜、野菜ばっかのバーベキューやった後に、木戸がムルナウの『吸血鬼ノスフェラトゥ』やりましょうっていって、紙2、3枚の台本をワープロで打って作ってきたらしくて、みんなにコピーしたやつ配って、木戸がトーマス、オレがオルロックやったな。全体のストーリーとか聞いたけど、あの時まだよくわかんなくて、とにかくこういう感じで、こういう怪奇モノやりたいですって。
 
 そういやあ谷山は、合宿の時、「ふつうの女の子のわりには頬骨張ってておにぎりみたいな顔でゴメン」って自分でいって笑ってたけどさ、本人はけっこう気にしてたのかなあ。お岩さんとか魔女の役似合いそうって木戸がいったら苦笑いしてた。
 北橋はさ、身長低くて小学生みたいで、まあ木戸もそんな感じだったけど、北橋の方がもっと子どもっぽかったよな。あれいつだったか、北橋にピエロのパフォーマンスやらせたら、めちゃくちゃ巧くて、愛くるしい感じがよく出てた。ほんとに巧かったよな。「北橋のお兄さんって、すごい有名なバレエの教室の講師してます」って木戸がいってた。
 
 怪氣円の稽古場は、文化センターのアトラクションホール借りて、週に2回、水曜と土曜の夜に集まってたよな。劇団費も毎月みんなから集めて。
 そんで、旗揚げ公演の『ムジナとヴァレンタイン』は、91年の2月だったよね。木戸たちにとっては、高校卒業前の公演だった。部活はとっくに引退してたしね。
 みんな、演劇のことで夢中になってて、演劇中心の生活だった。先々の将来については、オレも含めて、みんな演劇で食っていきたいっていってたけどなあ。谷山は短大に行って、木戸と北橋は高卒でバイト生活。怪氣円を有名にして、いつか東京公演やるんだって、すごい夢持ってた。北橋は「新宿の紀伊國屋ホールでやりましょう」ってね。毎日、1階のカレー食えるからって。『ムジナとヴァレンタイン』って、木戸が企画したムジナ百物語のシリーズの一発目だったわけだ。
 
 ストーリーはまだ憶えてるよ。
 「古びた祠のある辻」の一場の民話劇。夏休みのうちに木戸が台本書き上げてきて。 図書館通ってね。
 その図書館にあった、西辺城市の明治期の旧赤佐村の民話の本見つけてきたっていってさ、それ、ほとんどムジナが出てくる民話伝承の本だったんだよ。小泉八雲の『怪談』みたいな感じのね。
 それ読んでさ、なかなか面白いっていって、ちょっと現代風にアレンジしてみようって、木戸が昭和30年代頃にストーリーを設定して、台本書いてきて。
 貧乏な家に育った赤佐中学2年の少女マルコが、恋の成就のために、祠のある辻で、「金色のムジナ」と会うのを夢見る、ずっと待ち続けるっていう話なんだよ。そう、「金色のムジナ」はね、何でも願い事を叶えてくれる、妖怪っぽい動物なんだ。
 
 そうそうそう、上演どこでやる? って話になって、あっちこっち探して、結局決まったのは、忘れもしない、「ザナドゥ」だ。
 「ザナドゥ」。70年代くらいまでは軟派なロックバンドがたむろしてたライブハウスなんだけど、行くとね、壁のあちこちに、当時のファンの落書きが残っててね。あの頃のバンドって、若い男のメンバーばっかだけどさ、女の子の追っかけはグルーピーになったり、男の追っかけなんかの場合はローディーになる人がけっこういたらしいよ。ロックが熱狂的な時代だったからね。
 
 「ザナドゥ」はいいハコだったよ。場末的にひんやりした感じがね。オーナーの松島さんがヒッピーみたいだったよな。ちょっといいかげんな人だったけど、親切なオッチャンだった。よくチャーハンの差し入れもしてくれたしね。
 あそこは、なんといってもオレたち怪氣円の、常駐スペースだった。そういやあ「ザナドゥ」は、地元出身のフォーク歌手の、ひいらぎさゆりのライブでも知られてた。ちっちゃい頃母親に連れられて観に行ったことある。そのうち歌手やめて、ストリップ劇場のダンサーになったっていう。まあ、オレたちの演劇とはなんの関係もないけどね。
 
 旗揚げ公演の稽古の時は、ニシが熱心に文化センターに来て、舞台監督兼制作の仕事こなしてたよな。あいつが珍しく本気でさ。本番の時は、2月の寒い時期だったじゃん? ニシが靴下2枚履いてきてて、「ザナドゥ」のツルツル滑る階段の所ですっ転んで、危うく大怪我するとこだった。
 マルコ役の谷山は、もう初日は緊張しまくり。開演10分前まで台本離さなかったもんね。あの狭い「ザナドゥ」のスペースに、50人くらいお客さん来たっけ。友人知人にみんな呼びかけたおかげで、一応満員だったよね。稲葉さんも来てたし、小高さんはでっかい花束持ってきてくれた。まあ、ニシが舞台監督だったからかもね。
 
 「ザナドゥ」はね、照明全部消すと、ほんとに真っ暗だった。恐ろしいくらいに、なんにも見えない。
 開演。しばらく真っ暗な状態が続く。
 ぽんとスポットが差して、マルコ役の谷山がそこでうつむいてしゃがんでる。フクロウの鳴き声の効果音。
 それからしばらく、しーんとした間。
 
 そこで、農民の青年役の北橋が鍬を担いであらわれる。辻を抜けようとしたところ、少女がしゃがんでいるのに気づく。不審に思う青年。それからまたしばらく間があって、北橋がぽつりとセリフをいうんだ。
「そこでなにをなさっているのですか?」
 
 それからまたしばらく間があく。青年がまた声をかける。「あんたはそこで、なにをなされているのですか?」
 
 マルコは「金色のムジナ」と会うため、半月の深夜、祠のある辻でしゃがんで待っているんだ。
 稽古のとき、ニシと木戸がもめたよな。半月なんだから、周りに少し照明落としたほうがいいんじゃないのっていうニシと、木戸は、いや真っ暗で始まって、スポットはマルコのとこだけ、って意見が対立して、稽古が中断して進まなかったことがあったよな。ああいう時の木戸は、頑固だから折れないんだ。絶対に。
 しょうがないから、最後はニシが折れたけど、木戸は「ザナドゥ」の空間をけっこう理解してたよね。極力照明使わないようにしてた。
 
 マルコが月夜に待ってる日は、2月14日のバレンタインデーで、農民の出の一人娘なんだけど、そういうアメリカなんかの文化に憧れる少女なんだ。青年がぽつぽつとマルコに訊ねて聞くので、マルコの方も小声で話し出す。
 今日の午前に、学校の体育館の裏で、初恋の男の子の孝志くんを呼び出して、彼に手製のチョコレートと手縫いのベアーをプレゼントした。でも孝志くんはぜんぜん愛想がなくて、ショックだった。それで駆け足で学校を飛び出してきたって。
 気がつくと、祠の前に立ってた。どうしても、孝志の嫁っ子になりたい。だから、こうして「金色のムジナ」を待ってるのだと。ムジナと会って、孝志の嫁っ子になれるようお願いするんだと。
 
 そこで青年役の北橋が、血相を変えてセリフをいうんだ。「おそろしい、おそろしい。そりゃあよした方がいいぜ。あんた」
 マルコはなぜですか、とたずねる。青年はいう。「あんた、金色のムジナなんかと、会うんじゃない。あれは恐ろしい魔物なんだよ」。
 
 遠い昔、そこであんたと同じようにムジナを待ってた女郎がいたそうだ。愛する男に逃げられて、その男の居場所を教えてもらおうと、ムジナに会いに来た。だがそのうち、金色の粉雪が降ってきて、ムジナが現れた。女はムジナに、男の居場所を教えてくれと頼んだ。
 するとムジナは、その女に、男の居場所を占って教えたそうだ。女はありがたいありがたい、ありがとうございますといってムジナの好物の肉を置いて立ち去った。
 しかしそれから3日経ち、女は男の居場所を突き止め、なんとかこうにかよりを戻したらしいが、隣村で新しい夫婦生活を始めるやいなや、女は殺されてしまった。いや、誰の仕業かわからない。その村にある大きな杉の木の根元で、木杭で胸を打ち抜かれ、死んでいたという。男は嘆き悲しんだが、3日経たないうちに、別の女と一緒になったらしい。女の死骸はしばらくそのままだったそうだ。
 村人たちはひどく怖がって、あ、木戸とオレがね、その村人の役。スポットを当てないほとんどシルエットで登場する。隣村の村人が墓を作って女を埋めてやり、ムジナ様を丁重に祀ったと青年は話す。
 
 いいかい、そこのあんた、あんたも願い事を叶えてもらったら、同じような目に遭うかもしれない。だから、ムジナと会っちゃいけない。早くここを立ち去るんだよ。
 そういって青年は、逃げるように辻を去った。しかし、マルコは諦めきれなかった。孝志の嫁っ子になりたい。どうしても孝志の嫁っ子になりたい。マルコはそれからしばらく、ムジナを待ち続けた。
 
 だが、とうとう、ムジナは現れず、朝焼けの空が広がった。マルコはがっかりした。弱々しい体を起こして、ようやく決心がついて、辻を去ろうとした。
 そこで何かが、鳴いたような気がした。フクロウでもネコでもない、別の生き物の鳴き声。
 ふと祠の方を見ると、そこにベアーが置いてあった。マルコが孝志にあげたベアーだった。どうしてこれが、ここに置いてあるのかとマルコは不思議がった。
 
 マルコはベアーを抱きかかえた。するとベアーのあった石の上に、一切れの紙が置いてあるのに気づいた。マルコはそれを読んだ。
「ありがとうマルコ。今度、村の春祭りにお誘いします。ぜひ一緒に行きましょう。孝志より」。マルコは泣き崩れた。
 
 マルコが泣き崩れるという演技でゆっくり暗転して、劇は終わるんだけど、その時ほんとに谷山は泣いてたんだ。泣きじゃくった。終わっても、ずっと泣いてたよ。お客さんがハコを出る時になっても、涙が止まらなかった。谷山は劇を観に来たお客さんに「ありがとうございました」っていいながら、泣いてた。
 
 あとで木戸に、あれは、飲み会の時だったっけ。なんでベアーのぬいぐるみにしたの? って訊いたら、ベアーのぬいぐるみの怨念を晴らすためだって。
 そういやあ、恩田さんの舞踏の野外公演で、ベアーが登場してパフォーマンスがメチャクチャになった時あったじゃん。あの怪氣円で使った小道具のベアーは、西山先輩にわざわざ頼んで、小高さんに持ってきてもらったやつですって木戸が。
 だからあれ、『地底獣』の時のいわくつきのベアーなんだよ。いってみれば、恩田さんの怨念が染み付いてたベアー。それをまあ、小高さんに借りてきてもらって、使わせてもらったってこと。結局、マルコをやった谷山の名演で、ベアーもお祓い済ませられたってことだな。
 
 木戸っていえば、ひとつ思い出した。
 レストラン「ルビイ」で木戸と話してる最中、窓の外の道路で、ちょうどマルコと同じくらいの中学生の女の子が通り過ぎたんだ。木戸もその子に気づいて見つめてた。オレは急に鞄から傷だらけのケースのCDを出して、木戸に渡したんだ。
「これ、懐かしんでたよな。聴いてみたいっていってたから持ってきた。パープル・ヘルメッツ。もうオレ聴かないから、あげるよ」
 
 木戸と再会した翌日の星降る夢を見た後、何日経ったか憶えていない。これ、誰にも話してないんだけどさ、オレ、どういうわけだかこっそりと、あの工場の廃屋に行ったんだよね。
 昔、青燐光が舞踏の稽古で使ってたガレージの、隣の工場。その頃から廃屋だったんだけど、そこに、あれを棄ててたんだ。
 
 青燐光の野外公演で使ってたマネキン。オレたちもその後の公演で一回使わせてもらって、そのマネキンの処分に困って、しょうがないから廃屋に棄てたんだよ。オレと木戸だけの秘密で。その頃もう、恩田さんも居なかったし、青燐光も解散した後だった。
 
 そこへ、行ってみたんだ。一人でね。
 びっくりした。昔のまんまで。窓ガラスが割れてたね。ボロボロのトタン壁も風に揺られてピシャピシャと音を立ててうるさかった。
 あそこの錆びついた金属の臭い。猫の死骸もあった。足の踏み場もないくらいガラクタだらけで、ほとんどお化け屋敷。歩くと、ホコリが立ち籠めた。シンナーだかガスのような臭いもした。
 
 あそこに、まだ置いてあったんだ。マネキン。
 鳥肌が立った。忘れてしまったものなのに、また昨日のことのように時間が戻った気がした。あのときのマネキンが、ほんとにそのままの状態で残ってたんだ。怖かった。体が震えてきて、逃げることもできなかった。

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この物語はフィクションであり、
登場する人物・団体等の名称はすべて架空のものです